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教育文化の社会学第14回

今日は何度も放送大学の書き起こしを試みて、幾度となく挫折する。何とか45分続けたのがこの科目。まとめられる状況ではないので、垂れ流し気味に。それにしても講義をBGM代わりにするのは止めた方が良いのだろうか。

 

努力主義。文化的背景。日本には文化の壁が社会装置として働いている?平等圧力が高い日本社会。現実には階級差があったとしても、違いを目立たなくさせるのが人間関係の潤滑油に。日本の学校教育。努力と勤勉が学校教育を支えるエトスに。メリトクラシーの神話。しかし薄らぎつつある。
福沢諭吉も「勉強」という言葉は使っていない。明治10年代あたりから学問をすることと結びついて「勉強」という意味に。努力して社会的成功を。立身出世主義のイデオロギーに。属性によってではなく、努力して社会的地位の確立が。メリトクラシー。能力が階級により固定する危険性。階層間の移動のない社会に逆戻りに。日本型のメリトクラシーでは努力が重視。努力するのも才能の内。勉強読書主義をベースとしたメリトクラシー。能力は後天的なもの。努力型メリトクラシー。受験などの選抜システム。努力して少しでも上に。能力や才能に甘んじない。立身出世主義。勉強というものがゼロサムゲームになることも。大志というよりもささやかな地位を巡る競争に。勉強も個人的目標を目指すものを。マイナスイメージも帯びる「ガリ勉」。功利主義的に。勉強努力主義は文化的エトスに。教育する家族。受験戦争。選抜システムは戦後の60年代あたりから広がる。高等教育の拡大期。学歴主義。批判の対象にも。不安が努力をかきたてる。努力や勤勉は苦行というマイナスイメージに。勉強努力主義の普遍化に並行して。
2000年代から変化が。勉強努力主義が減退傾向に。努力する生徒やしない生徒の社会的階層が異なってしまうことに。やる気そのものに階級差が。勉強を努力する層や、勉強から降りてしまう層が。勉強が階層差を埋め合わせるのでなく、階級差を助長させることに。高学歴で高い文化資本があると、学校でも成功する可能性が高い。機会は平等?学校化された文化資本。子供が努力するかどうかは課程の文化資本に因るように。頑張る方向も違っている?近代日本の文化を支えた勉強努力主義は二極化。より多様な能力に。学校の中から少しずつ変容。家庭の文化資本が重要に。社交能力などに。言説の上でも現実でも減退。多様性をもたらす新しい能力に。ハイパーメリトクラシー。ポスト近代型。「生きる力」に象徴される能力に。柔軟に対応できる能力に。具体的にどう身につけるのかと、評価の基準は必ずしも明らかではない。独創性やコミュニケーション。カリキュラムとして形式化することは難しい。ポスト近代型能力を入れ替えるか。近代型能力に乗っけるか?これまでの文化的装置の仕組みは?